広報たからづか1月号 新春特別対談〈全文〉THE RAMPAGE 武知海青×宝塚市長 山﨑晴恵
まずは2024年を振り返って
武知 グループとしては、アリーナツアーを全国21公演、そして東京ドームで2日間の公演を行いました。その他にも海外での活動や東京を拠点に多方面で活動させていただき、2024年が勝負の年になったな、という印象がすごく大きいです。「必ず次の年につながる一年にしよう」というのがグループの抱負だったので、それが達成できたと思います。
市長 本当に多方面で活躍された、激動の一年でしたね。プロレスにも挑戦されたとか。
武知 はい。プロレスは2024年2月にデビューしました。個人的な活動ではありますが、グループとしても個人としても、一歩前に進んだというか。
市長 かなり前に進みましたね。
武知 所属会社である(株)LDH JAPAN(以下、LDH)の所属アーティストの中でも、「スポーツといえば海青だよね」と言ってもらえるくらい、自分がスポーツに注力していることが浸透してきているので、もっともっと皆さんに知っていただけるようこれからも頑張りたいです。
市長 スポーツの分野で力を発揮されているのがうれしくて。本市では、パリオリンピックで銀メダルを獲得した玉井選手や宝塚市大使である寺内選手がいて、スポーツに力を入れている中、武知さんが大使になってくださって、全国に自慢できちゃうぞ!と思っています。
特に印象に残っていることは?
武知 やはり東京ドーム公演が個人的には大きいです。グループ結成当初から、いつかドームツアーしたいね、と言って10年間走り続けていたので、10年目でやっと2日間の公演をやらせていただけて、ドーム公演の大変さや楽しさ、来年からどうしていかなきゃいけないかという明確な課題も見つかったので、いいところも悪いところも含め、印象に残っています。
幼い頃はどんなお子さんでしたか?
武知 あまり怖がらない子どもだったと思います。小さい子がよく乗る、またがって足で動かす車があるじゃないですか。それを坂の上に置いて、1人でぐわーっと下ってきてドリフトして止まる、ということをやって喜んでいました(笑)
市長 危ない!(笑)でもその頃から運動神経が良かったんですね。幼少期には水泳もされていたとか。
武知 はい。市内のスイミングスクールで水泳を習っていて、スクールの全国大会に関西代表で出場し、メドレーリレーで優勝したこともあります。小学4年生のときには、念願のジュニアオリンピックに出場しました。水泳を始めたのは3~4歳ごろで、ダンスも3歳からやっていたので、4歳からはダンスと水泳の二刀流でした。
ジュニアオリンピックに出場したいと思ったきっかけは?
武知 一番上の姉が先に水泳を始めていて、ジュニアオリンピックに出ていたんです。かっこよかったし、スクールでも、出場すると株が上がるというか(笑)。それで自分も出たいなと思うようになりました。あと、大会のジャージがあるんですが、オリンピック選手と一緒だった時に背中にサインをもらえるんです。そのサインが多いほど、強い選手だ!というイメージがあって。僕が参加したときは瀬戸大也選手がいらっしゃったので、ジャージにサインを書いてもらって、違う大会にもそのジャージを着ていって「自分は強い選手だ!」と思い込んでから大会に臨む、という感じでした。
僕はもともと内気なタイプで、勝負が好きなタイプではなかったんです。だけど小さい頃からダンスコンテストや水泳の大会に出る中で、負けた時の悔しさや勝った時のうれしさなどを経験していきました。負けた時はしんどいし、勝った時はうれしい。それだったら勝ちたいな、どうしたら負けないようになるのかな、と考えるようになり、負けず嫌いになっていったのかなと思います。
市長 お話を聞いていると、勝負の結果だけを求めるのではなく、次につなげる分析をご自身でされている。それがすごいなと思います。
武知 ありがとうございます。相手がいないと勝ちも負けも存在しないので、対戦相手に敬意を払って、その上で正々堂々と勝負する。ずっとその気持ちです。感謝の気持ちを忘れないように、という指導をずっと受けていたので。
市長 それこそがスポーツマンシップですね。
THE RAMPAGEのメンバーになった経緯は?
武知 ダンスコンテストに出た際にスカウトしてもらい、LDHが経営するEXPG STUDIOというダンススクールに特待生として入り、そこでダンスを学んでいました。その際に、EXILE PERFORMER BATTLE AUDITIONというものが開催され、それに出場して最終選考まで残ったんですが落ちてしまって。その時、(LDH社長の)HIROさんが、新しいグループを作るので参加しないか、と誘ってくださり、このままじゃ帰れないと思って参加させてもらいました。その後、武者修行というオーディションを経て正式メンバーになった、というのが経緯です。
市長 武者修行というのがあるんですね。
武知 そうなんです。ロケバスくらいの大きさのバス1台で全国を回るというもので、1か月くらいいろんなところに行きました。一日2公演や3公演するときもありました。
市長 3公演!大変だったんじゃないですか?
武知 大変でしたね。正式メンバーになってからも下積み時代は先輩グループのサポートダンサーや裏方もしていました。でもそのおかげで洗濯やごみ捨てなど、いろんな経験をさせていただきました。裏方のお仕事や大変さを知らないまま舞台に立つと表現が雑になってしまうと思うので、そうならないよう裏方の思いを踏まえて表現することを心がけています。ステージには僕一人で立ったのではなく、スタッフさんたちのおかげでステージに立てているので、常にそれを忘れないようにしたいです。
市長 多くのスタッフ、みんなのことを思ってステージに立ってらっしゃるのが分かって、すてきだなと感じました。ファンの皆さんも武知さんのそういう誠実さを感じているんだと思います。
挫折したことはありますか?
武知 幼いときからダンスや水泳をしていましたが、大きくなるにつれて思春期も重なったり勉強もしないといけなかったりで、どれをやったらいいかわからなくなってしまい、一度「全部やめる」という挫折の時期がありました。ただ、一週間くらい何もしないと、自分が自分じゃなくなっていく感覚がして。それから、本当の自分を探す旅みたいなことを始めた時、やはり最初にダンスに手が伸びて。次は友人関係が大丈夫になり、次は水泳、勉強、と徐々に歯車が合っていって。今思うと、昔は全部を100%でやらなきゃ、という思いがあっていっぱいいっぱいになってしまったけど、この経験を経て、今はそのバランスを覚えることができました。
市長 自分で一回リセットして、何が自分にとって一番大事かを見つめ直したのがとてもすごいと思います。その若さで。子どもの頃ですよね?
子どものときって親からこうですよと言われたらそのままハイ!となることがほとんどだと思いますが、自分に必要なものを一つ一つ自分で選んでいったというのがとてもすごい。その時から成長されていたんでしょうね。
武知 たしかに、その頃が一番成長したのかも。
市長 武知さんはその頃から自分を客観視することができていたんですね。客観的に見ることができるようになったきっかけはあったんですか?
武知 何個かターニングポイントがあって、そういうのを経て今の自分になっているのかな、と思います。一気にというよりも、挫折があって成功があって、というように点と点がつながって今の自分につながっていると感じますね。
自己表現や、自信を持つために大切なことは?
武知 チャレンジ精神はすごく大切だと思っています。物事を始めると、どうしても成功するかしないかで判断してしまう。「成功しない」を経験すると、それがどんどんコンプレックスになってしまうと思いますが、「成長するかしないか」で考えると、必ず成長していると思える。「成功する・しない」にとらわれないでほしいな、というのは最近いろんな人に対して感じますね。夢は必ずつかめるとは言い切れないけど、夢に向かって頑張ることで、その夢じゃない新しい夢が見つかるかもしれないし、そこだけにとらわれないで欲しい。やってみたいことがあれば果敢にチャレンジしてほしいなと思います。チャレンジ精神が成功のきっかけや成長につながっていると感じます。
あと、自信は、実績や結果があればおのずと付いてくると思っていて、僕の場合は圧倒的にダンス歴が長いことが武器でした。THE RAMPAGEでも一番長いので、ここでは負けるはずがない、というのが最初の自信につながるポイントでした。今までやってきたことが自信につながってチャレンジできて、THE RAMPAGEになれたという結果が残った。それを糧にまたチャレンジして結果が残って、前に前に進んでいる。そんな感覚です。
市長 さまざまな経験を糧にして、その経験から次のことを考えて行動されている。私から見ると、武知さんは若くして成功している人です。そういう人って、スカウトされてすぐにパッと華やかな世界に入って人気が出て、というのが一般的なイメージだけど、ダンス歴が長くそれを自信にして、水泳もやって、オーディションにも挑戦し、壁にもぶつかって乗り越えて、というさまざまな経験をしっかりご自身のものとして蓄えられたうえで行動されているので、ゆるぎない土台があるような、そんな印象を受けました。
武知 ファンの人も今の自分の姿を見てくれていると思うので、自分が立ち止まってしまうと、何人かの足を止めてしまうことになるかもしれない。僕が動くことで、見てくれている人の中の一人でも行動してくれたら、それが連鎖していくのかなと思うので、先頭に立つ側の人間としては、どんどん実行していくしかないな、と思います。
市長 やはりゆるぎないですね。ご自身の経験を土台に一歩ずつ前へ進む人だと感じました。
宝塚市では小学5・6年生を対象に、演出家の平田オリザさんによる演劇的手法を使ったワークショップを行っています。まずはシナリオ・セリフが全部決まっている脚本をみんなで演じてみる。次はセリフが空白になっているので、みんなで考えてみる。次は冒頭だけが決まっていて、あとは自分たちで全部考えてみる。しゃべるのが苦手な子は、しゃべらない役でいいんです。ありのままの自分の役で、お互いを認め合おうと。そうすると、みんな解き放たれたように自分を表現できるようになる。そんな授業を取り入れています。
この授業が、武知さんがおっしゃった、表現者へ続く成功体験になったらすてきだと思います。
武知 おもしろいですね。やってみたい!僕はパフォーマー役で参加して…(笑)
市長 きっとみんな大喜びです!パフォーマーの生き方、表現の仕方を今の子どもたちにぜひ知ってもらい、ありのままの自分を出してほしいと感じています。
武知 僕は小さいころ本を読むのが苦手で、国語の授業で音読するのがすごく恥ずかしかったんです。演劇の授業があれば、確かに殻を破れるかもしれない。音読はどうしても決まっているセリフにとらわれてしまうけど、自分で考えて演じられるのであれば、もっと自分を表現できるような気がする。めっちゃすてきな授業ですね。
市長 こういう授業が行われるよりも前に自分らしさを見つけて、行動されているのがすごいと思います。宝塚の子どもたちも武知さんのようになってほしいです。
市内でお気に入りの場所はありますか?
武知 毎年宝塚に帰りますが、必ず立ち寄るのは母のダンススタジオです。売布神社の駅を出てすぐにあるんですけど、僕にダンスを教えてくれた当時の先生が出迎えてくれて。同じ時期に習っていた生徒たちもいて、アットホームなんですよね。実家に帰ってきたような気持ちになります。近況報告したり、今の状況を逆に教えてもらったり、最近の僕のダンスを見せてご指導いただいたりとか。
市長 え⁉武知さんが教えるんじゃなくて?
武知 はい、今でも教えてもらうので、僕にとっては必要な時間ですね。また、芸能界に出てダンスでごはんが食べられているというのは、なかなかないことだと思うので、その素晴らしさを、僕を知らない世代の人たちにも伝えられたらと思っています。また、僕を見て育った世代で芸能界にチャレンジしている人たちもたくさんいるので、そういう人たちの応援ができるように、その人たちに会いに行くことも大切だなと思うので、自分自身を使って証明していきたいと思います。
2025年の抱負を聞かせてください
武知 2024年は0を1にする年だったなと思っていて。いろんな無理や、不可能を可能にしてきた年だったので、2025年は1を100にでも、1000にでも、はたまた2になってしまうかもしれないですけど、可能性をどんどん広げていけるような年にしたいなと思います。
宝塚の子どもたちに一言
武知 子どもの時っていろんなことを考えると思います。昨日考えていなかったことを今日急に思いついたり。それはとても大切なことだと思っています。そういう、自分が思うやりたいことに素直に挑戦したり、友だちや先生を大切にしながら、いろんなことに感謝して精いっぱい生きる。そうしていると、きっと、やりたいことや夢がおのずと向こうから近づいてくると思うので、無理しなくていいと思います。今を思う存分楽しんで、がむしゃらに生きてほしいです。
市長 夢や目標が向こうから近づいてきてくれるよ、というのがすてきですね。経験からの言葉ですね。
宝塚の子どもたちが、武知さんに続いて力を発揮し、自分の望む道へ土台を固めながら着実に進んでいけるような教育を進めていきたいと改めて感じました。今日は本当にありがとうございました!
子どもたちの健やかな成長を目指して
宝塚市では、武知さんも興味を持たれた「演劇的手法を活用したワークショップ」をはじめ、子どもたちが健やかに育ち、のびのびと自分らしく成長できるよう、さまざまな子ども・子育て施策に取り組んでいます。
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